【シャープ横断♪バトンリレー】第16走者◆石の上にも36年?よくわからん「ブランド」というものについて考えてみた
安川さんからバトンを引き継ぎました、CEOオフィス ブランド担当の専門社員 米津です。
ちょっとバラしちゃうと、安川さんとは面識ございませんで、広報のマイティー・マドレーヌ氏から無理くり引き込まれたのが実情です。え?要らんこと書かんでええって?
さて、そんな経緯もありこれまでの走者の方がお寄せされている文章を改めて拝読させていただくにつれ、なんでこんな僕に白羽の矢を立てたの?という思いが強いです。
どうなっても知らんからねって、一種開き直って書いています(ニガ笑)
最初に書いた通り、僕は今専門社員で、60歳ちょうどです。新卒で入って定年まで一旦は勤め上げた格好ですね。自分でもよくここまで持ったもんだと感慨新たな日々です。今いるのは「ブランド担当」という部署ですが、多くの社員にとって、何をしている部署なのか謎〜っていうのが実情ではないでしょうか。ていうか、そもそもブランドって何なんだろう。このイントラネットでもブランドというワードが出ない日はないくらいなのに。
そこで、自分の失敗だらけの会社人生を省みながら、ブランドについて考えるのも一興かなと思い、駄文をつづり始めることにします。
(第一幕)ダメダメ営業マン
キャリアスタートは1987年、国内販売会社「シャープエレクトロニクス販売(SEH)」。いわゆる街の電気屋さんを担当する「一般ルート営業」に配属されました。地縁血縁全くない熊本の営業拠点で、寮は社屋の5階。しかも2人ずつの相部屋でした。
もうこれだけで逃げ出したくなるんですが、仕事も正直キツかったです。おまけにスマホはおろか携帯電話さえなかった時代。友人はほとんど関西でしたから、連絡するのも公衆電話しかなく、次第に孤独感が高まり、支店の倉庫の片隅で「何やってるんだ俺・・」と焦りや怒りや後悔や、ネガティブ感情に飲み込まれて半泣きになっていました(実話)。
そんな調子でしたから、営業成績もパッとせず、色々トラブルも起こしてしまいました。あまり会社のことが好きになれず、社員たる意識も正直高いとは言えませんでしたね。
よく辞めなかったと思います。たぶん、同年代の社員が当時の支店には沢山いて、色々愚痴ったり、遊びに行ったりできたのが歯止めになってくれたんだと思います。
【ブランドに関するヨネヅの気づき】
仕事にちゃんと打ち込まないとネガティブの沼にはまる。帰属意識も生まれない。当然ブランドに愛着も湧かない。
(第二幕)誉められると好きになる
どちらかと言えばあまりパッとしない会社人生のスタートでしたが、悪いことばかり続きでもなく、1991年からは8年間、量販店ルート担当となり、多分にツキもあったと思いますが、営業成績は概ね好調でした。
この頃は、販売店の社員にどれだけ信頼されているかが割と数字にストレートに跳ね返ってくるというのが感じられた時期で、会社が打ち出す施策を素直に実行する中で、とにかく、店頭に行ってお客様や販売店の人と会話する量を増やしていました。
特に、早朝から販売店に出かけていって行う商品勉強会(会社では「Bデート」と呼ばれる施策)で、一生懸命商品のスペックや販促策を話すんですが、今思うと、やってるうちに商品に惚れちゃうんですよね。で、その思いが上手く伝わり、ユーザー販売が立つと本当に嬉しかったです。「ヨネヅさんの教えてくれた売り方で、2台売れたで!」とか言ってもらえたりしてね。
売上予算を6期達成して、西田辺の当時の本社で表彰された時は、会社も商品も周りの人もみんな好きでした!
【ブランドに関するヨネヅの気づき】
好きは好きを呼ぶ。「自分のブランドへの惚れ込み」は伝染する可能性がある。
(第三幕)大隕石「インターネット」
1999年 ノストラダムスの大予言が世間をざわつかせていた年、僕の会社人生にも大隕石が飛んできました。(大げさ)
社内公募で「インターネット販売事業化推進プロジェクトチーム(PT)」なるものが出ていて、なんか名称のカッコよさに感動して応募してみたらなぜか合格、4月当時の西田辺本社に異動しました。
その頃は、まだネットはほぼほぼPCからの接続(「ネットスケープナビゲーター」でNASAのWebサイトにつなぐアレですよ)、所謂「ホームページ」を我先に企業も個人も構築公開している時代。ソーシャルメディアはもちろん、blogさえまだなくて、しかしEC・ネット販売は「楽天市場」が産声を上げたり、様々な業態業種から参入が相次いでいました。と同時にリアルだけでなくオンラインの顧客接点が爆発的に増えていきましたね。
営業時代とは仕事の進め方がガラっと変わり、調査・学習・研究→企画→上申→実施→反省→以下回る みたいなサイクルを回し始めたわけですが、今思えばすごくやりがいもあり、楽しかったですね。
ネット販売のテストケースとして、PCサプライのECサイトを立ち上げて運営スタートした時点でPTは発展的解消となりましたが、この頃の経験がその後のキャリアを大きく変えたのはたぶん間違いないと思います。
【ブランドに関するヨネヅの気づき】
タッチポイント(顧客接点)がネットの登場で爆発的に増加。そのスピードについていけるかどうかがブランドの分かれ目だった。
(第四幕)目指せ!輝けるグローバルブランド!!?(言うは易し、行うは・・・)
2006年2月、ブランド戦略室・宣伝部・(国営)販促企画部・各BUの販促担当・(広報)ホームページ企画室などなどが一つの部門になり、「ブランド戦略推進本部」が発足。
僕はその傘下に出来た「Web企画室」に異動しました。
それから、今にいたるまで、シャープの「ブランド価値」をどう上げるか、そして専門分野的に、デジタル・オンライン・Web(どれも意味合いは違うんですが、とにかくネット関連で!)の領域で頑張ってきました。そんなに褒められたスキルや高度な知識があるわけではないですが、とにかく、変化のスピードについていくのに必死でした。
そうこうするうちに、会社が「グローバル大事!」ということになり、グローバルサイトを見てねとか、海外販社のA&Pにも噛ませていただけるようになるとか、海外出張したりとか、新しい経験をいっぱい積ませていただきました。まったく英語もダメダメだったのでNHKのラジオ講座を毎日聞いたりして、足を引っ張らないようにしました。(ちなみに今でもNHK聞いてます。)
ブランド上げるってお城づくりと同じで何年もかかるけど、落とすのは一瞬で(最近も炎上とかいろいろありますよね)、いろいろな人と意見交換したり、必死で考えたり、結果としてイマイチだったり失敗したりも多々ありましたが、大事なのはやはりコミュニケーション、これに尽きると思ってます。だって、どんなに良い企画(と自分で思っていても)、周りの人の理解がいただけないと実施できないし、どんなに頑張ったところで一人でできることなんてホント高が知れてますもん。
そんなこと言わずもがな、、、かもしれませんが、言うは易し、行うはキヨシ、ちゃう、難しとはまさにこのことだと思います。
【ブランドに関するヨネヅの気づき】
周りの人とのコミュニケーションから、ブランドづくりは始まる。長い道だけど、その1歩がないと何も起こらない。
以上、長文の割にはなんだかよく分からんままの人も沢山いらっしゃると思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございます!
さて、次回は、
CEOオフィス デザイン担当
小田恭彦さん
にバトンを繋げたいと思います。
小田さんは永く、デザインとデジタルの世界の融合を図ってこられた職人技の方です。
次回のコラム、よろしくです~!
(米津研太/CEOオフィス ブランド担当)
≪シャープ横断♪バトンリレー≫とは…?
みなさんの人脈を駆使しバトンのようにコラムを繋いでいくという、太古の昔からある数珠つなぎ企画!第16走者はCEOオフィスの米津さんでした。第17走者は、米津さんからバトンを託された小田さんです。お楽しみに♪