【シャープ横断♪バトンリレー】第17走者◆シネマティック・デジタルデザインの旅:鉛筆、CAD、そしてAIへ

米津さんからバトンをいただいた、デザイン担当(企画・管理) の小田と申します。

米津さんとは、ブランドとデザインを統合して「ブランディングデザイン本部」が誕生した2015年からのお付き合いです。これまでずーっと年下の方だと思っていたのですが、先日ご定年を迎えられたと聞いてビックリしました。お若い…

さて私はデザイン担当(企画・管理)という部門で、デザイン部門のIT活用支援や組織運営の業務を担当しています。元々商品の外観をデザインする「プロダクトデザイナー」として入社したのですが、ひょんなキッカケで3次元設計の起ち上げプロジェクトに携わることになりました。
この辺りからお話を始めたいと思います。

◆この矢板の片隅に:1990年代前半

私は1990年の入社で、最初の職場は栃木県矢板市の電子機器事業本部(現TVS事業本部)でした。入社早々に、TVや液晶プロジェクター(懐!)といったAV機器のデザインを担当させていただいたのですが、数年目にして自分の才能の無さに打ちひしがれていた時、「3次元設計やってみない?」という悪魔の囁きをいただいたのです。

当時、商品の設計といえば2次元の図面(平面)によるものでしたが、実際の商品は3次元(立体)の存在。その商品のあるがままの姿を、コンピューターを使って3次元的に設計しようというのが3D-CADです。当時はコンピューターがまだ珍しい時代で、デザイナーはドラフター(製図台)に向かってデザインのスケッチや図面を描いていました。版下の作成など、業務の一部にようやくコンピューターが活用され始めていた時代です。

2次元設計(図面)と3次元設計(3D-CAD)

当時起ち上げようとしていた3次元設計体制の要は「コンカレント・エンジニアリング」。従来直列的であった【デザイン→機構設計→金型設計】の設計プロセスを、設計初期からデータのキャッチボールを進めて並列化し、設計期間の短縮と高精度化を図るというものでした。

3次元設計の黎明期であった当時は、コレといった定番の手法やソフトがある訳でなく、色々なソフトをデザイン設計に試してみて、IT部門(当時はCAEと呼んでいました)に仲介してもらいながら、機構設計部門とアレが良い、コレはダメというキャッチボールを繰り返し、最適なシステムの模索を続ける日々でした。数年に渡る試行錯誤の末、デザインと機構設計おのおのに適したツールの組み合わせが見えてきて、「よし、AV機器の3次元設計はコレで行こう!」という答に辿り着いた矢先に、ドカンドカンと事件が起こったのです。

従来の設計とコンカレントエンジニアリングの違い

◆スカイフォール:1997年

ちょっと話は脱線するのですが、私は入社当時に組合のイベントで出会ったパラグライダーにハマって、今も週末を過ごす大切な趣味になっています。結婚する前は土曜も日曜も有休の日も、飛べる日は飛ぶというパラ三昧の日々でした。そんな私は調子に乗りすぎたのか、1997年の春、ツアー先の岩手で墜落事故をやらかして胸椎を圧迫骨折、入院する事になってしまったのです。

いい機会なので、ここで友人たちの誤解を解いておきたいと思います。この事故のすぐ後に私は結婚したのですが、妻が医療関係者という事で「事故で棚からぼたもち/瓢箪から駒/文字通り怪我の功名」と言われるのですが、実はこの事故が無ければ、翌週には先方のご両親に挨拶に行くはずだったんですよ。事故前からのお付き合いですから、誤解なき様。
(ちなみにご両親への挨拶は翌週には叶いませんでしたが、担当医に無理を言って早々にギプスを作ってもらい、ギプスの上にスーツを着たロボットのような姿で、皇居の見えるステキなレストランでお母様に会わせていただきました。いま考えたら無茶苦茶ですね)

組合の体験イベントでパラグライダーに出会いました。一生の宝です。

◆ディープ・インパクト:1990年代終盤

閑話休題。このパラグライダー事故が正に、AV機器の3次元設計が軌道に乗り始めた時期でした。

胸椎に負担をかけないように胸だけ宙吊りという拷問状態で入院している私の元に、3次元設計起ち上げの同志、IT部門のTさんが「小田さん、えらい事になった!」と駆けつけてくれたのです。聞けば生産技術開発本部(当時)の方針で、全社の3D-CADを「Pro/E」というソフトに一本化し、機構設計もデザインもデータ一貫設計を目指す事になったと言うのです。

確かに、データの互換性を重視して機構設計もデザインも同じソフトを使うか、各部門に最適なソフトを使いながらその橋渡しを考えるかは、私たちも検討した重要なポイントでした。結果としては私たちは、後者の中で最適解を探したのですが、一気に全社方針でひっくり返るというのです。

頭に血が上った私は、胸だけ宙吊り拷問状態でレポート用紙数枚に渡る反対意見を書いて(ノーパソもスマホもない時代です…)、看護師さんに頼んで当時の上司にFaxしていただきました(メールもチャットもない時代です…)。

しかし所詮は儚い蟷螂の斧、負け犬の遠吠え、宙吊り病人のFaxです。職場復帰する初夏頃には、Pro/Eで行くことがすっかり社内の既定路線となっていました。

決まってしまったものは仕方がない。毒を食らわば皿までも。
デザイナーが意図する形状をPro/Eでちゃんと表現して機構設計部門に渡せるようにする事が、私の至上命題になりました。

入院時の姿(写真ではわかりにくいですが、胸だけ宙に浮いていて絶妙に痛かった)と、
必死に書いたPro/E導入反対意見のレポート

◆2000年代:夢中の旅

もともとPro/Eは機構設計に主眼をおいたソフトで、デザインが求める自由な形状の表現は、決して得意ではありません。そこを何とか手なづけながら、いかにデザイン部門でも役に立つツールとして活用して行くか。半ばリセット状態からの取組でしたが、各事業本部のデザイン部門で3次元設計に取り組んでいる方たちのノウハウが徐々に集まり、Pro/Eによる3次元設計が前に進み始めました。思えばこれが後述の「Creoデザイン研修」教程に結び付くのでした。(CreoはPro/Eの後継ソフト名です)

これまで表現できなかった形状をPro/Eで表現できるようになることに、私自身もやり甲斐を感じるようになっていきました。社内に導入したNC加工機で3Dデータから直接試作品が出力できるようになってくるなど、3D-CADが段々デザインのためのツールになって行く実感がありました。

ひょんなキッカケで一度、3D-CADに関する社外講演をさせていただいた所、当時はデザイン部門の事例が珍しかったからか、次々と社外講演の依頼が舞い込み、ある時はホールぎっしりのお客様を前に、著名デザイナーのケン・オクヤマ氏とパネルトークをさせていただくような、貴重な機会もいただきました。

この頃は海外にCADのトレーニング担当として出張に行かせていただいたりと、会社人生で一番勢いに乗っていた時期かもしれません。また、会社も勢いに乗っていた時代でした。液晶TV AQUOSが売れに売れ、どんどん新しいAQUOSのデザインが生み出され、その3Dデータを次から次へと作成していた日々が懐かしく思い出されます。

当時のAQUOSの3Dデータ(スタンド部)と実物の写真。デザイナーが意図する微妙な曲面を表現するのに苦労しました。

◆異動戦士ガンバル:2010年代

矢板勤務が二十年を超え、このまま栃木に骨を埋めるのかなぁと思い始めた2012年、本社に異動された元上司に引っこ抜かれる形で、大阪・西田辺の「戦略企画推進室」に異動する事になりました。当時のデザイン部門のHQ的組織の一つです。

ここは全社のデザイン部門が上手く機能するように、人材採用・育成/人事異動/デザイン部門横断会議の運営/予算管理/IP管理/公的評価取得など、デザイン組織の運営を担う部門で、これまでいたデザイン開発の現場とはかなり雰囲気の違う職場でした。

とにかくやる事の幅が広い上に知らない事ばかり。会社が大変な時期でもあったので、西田辺にいた数年間は、ひたすら馬車馬のように働いたと記憶しています。それでも餅は餅屋。中でも力を入れたのが、デジタルツールを活用したデザイン開発力の強化でした。それまでデザイン部門には、デジタルツール活用の体系的な研修が無かったので、時々のニーズを拾って行く形で、

・Creoデザイン研修(3D-CAD研修)
・3D表現力強化研修(CGを使ったデザインスケッチ作成研修)
・動画デザイン研修(デジタルムービー作成研修)

という、全デザイン部門に向けた研修を順次起ち上げました。

これらの研修は適宜内容を更新/拡張しながら、現在に至るまで定期的に開催しています。最近は3D-CGアニメーション作成のニーズが高まっているため、その研修を昨年新設しました。

ちなみに矢板で3次元設計を立ち上げた同志・IT部門のTさん(入院中に「小田さん、えらいことになった!」と飛び込んできてくれた彼)は、2016年に同じ部門に来ていただき、Creoデザイン研修の講師をはじめ、今やデザイン部門のITを支える大黒柱として大活躍しています。

Creoデザイン研修の様子。講師を担当しているのはTさんです。

◆幕張新都心でAIをさけぶ:いま

…もう誰も、幕張の事を新都心なんて呼びませんよね。

2017年に所属部門はそのまま、幕張ビルに異動となりました。単身赴任だった私に対する、当時の上長の親心だったかと思います。

私もいよいよ定年まで指折り数えるような年齢になってきましたが、ここ数年間でのデジタルツールの進化には目を見張るばかりです。次から次へと新しいツールが出てきて、情報にキャッチアップするだけで息切れしそうですが、最近は生成AIがクリエイティブの世界を根本から変えてしまうのではないかとさえ言われています。私のチームでも、AIをデザイン開発に応用するべく模索していますが、昨日の最新情報が明日には陳腐化するようなスピードに、目が回りそうです。

しかしそれ以上に舌を巻くのが、デジタルネイティブという言葉すら古くなった、最近の若手のデジタルなリテラシーの高さです。こちらが情報集めに必死になっているツールを、いつの間にかサラリと業務で使ってしまっている器用さを見れば、「安心してバトンを渡せる」という言葉すら、おこがましいと感じます。

老兵となった自分にあと数年で何ができるのか。デジタル活用でもう一花咲かせたいなぁと思う反面、少しでも若手が居心地良く実力を発揮できる心理的安全な職場を作って、これまでデジタルデジタルでやってきた自分の会社人生に、アナログな花を添えた幕引きにできたらなぁなんて妄想している今日この頃です。

駄文を最後までお読みいただいて、ありがとうございました。私が預かったバトンは、

SAS事業本部
PCI・ヘルスケア事業部(新規ヘルスケアプロジェクト)
寧静さん

へ渡したいと思います。
彼女は元々デザイン部門の同僚だったのですが、今はデザイン部門から出て新商品開発の現場でそのスキルを遺憾なく発揮している超優秀な方です。私が尊敬する若手デザイナーの一人です。

寧静さん、どうぞよろしくお願いいたします!

まだまだ飛んでいます!

(小田恭彦/デザイン担当(企画・管理))


≪シャープ横断♪バトンリレー≫とは…?
みなさんの人脈を駆使しバトンのようにコラムを繋いでいくという、太古の昔からある数珠つなぎ企画!第17走者はデザイン担当の小田さんでした。第18走者は、小田さんからバトンを託された寧静さんです。お楽しみに♪

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