思い出の家電(53)
これまで使ってきた家電と、その思い出をみなさんから投稿していただきました。
「そういえば、うちでもそんなことあったな」などと思いつつ、ほっこりしていただければ幸いです。
わたしは「観音時計」
1970年代の後半だったと思いますが、奈良県の壷阪寺(南法華寺)さまから、早川徳次創業者(当時:会長)に寄付の依頼がありました。
壷阪寺さまには、お里・沢市の浄瑠璃で有名な盲目の方のための施設があり、早川会長も幼少時に盲目の方に助けて頂いたことからシャープ特選工業株式会社(旧:早川特選金属工場)を設立しており、親しくなさっていたため、依頼があったようです。
さて、寄付が必要になった理由ですが、壷阪寺さまの当時のご住職「常盤住職」がインドのハンセン病患者救済に力を尽くされていたそうで、そのお礼にとインド政府から写真の様な大観音石像(全長20m、全重量1200トン)を贈られる事になったためです。
その運搬費に莫大な費用が掛かり、加えて壺阪寺のある壺阪山までの道を広げる必要があるとのことで、その為の寄付の要請が当社にあったという次第です。
この要請を受けた早川会長は、「寄付することはやぶさかではないが、それでは足りないだろう」とおっしゃって、当時の産機営業本部長だった戸部専務に話を預けられたのでした。
戸部専務と常盤住職の会談にわたしも同席したのですが、戸部専務から「ペンダント時計の裏に梵字を入れて、当時流行していた『写経』をセットにして、1万円で販売されてはどうか?」という提案を致しました。
これは良いと言う事になって、早速、常盤住職がお書きになった梵字で金型を作り、写経は壷阪寺の用紙を同封した、心のペンダント時計聖 「エルシークオーツ」<CT-441>(社内通称「観音時計」)が出来上がりました。
販売は、大阪では近鉄百貨店1万個、東京では髙島屋で1万個を計画、アッと言う間に2万個が完売、無事に壷阪寺に必要な浄財が集まりました。
当時、大阪の地下鉄に乗っていると観音時計を首から掛けている人をよく見かけたものです。
今も続いているのかわかりませんが、当時は壷阪寺に行くと、そびえ立つ大観音石像に、シャープの太陽電池で発電した電力によるライトアップがなされていました。
懐かしい思い出です。