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シャープが疑似量子アニーリングコンピュータを開発する理由

2025年1月30日

著者:広報C

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最近、「量子コンピュータ」という言葉をときどき耳にします。量子コンピュータは、まだ研究開発中の技術ですが、非常に高速な計算ができる次世代のコンピュータと言われ、注目が高まっています。

量子コンピュータは、大きく「ゲート式」と「アニーリング式※1」の2種類に分かれます。まず「ゲート式」ですが、これは汎用的な計算問題に対応できる方式で、世の中で広く普及している現代のコンピュータ(古典コンピュータ)と同じように扱えることが期待されるコンピュータです。

一方、「アニーリング式」は特殊な方式ではあるのですが、世の中に広く存在する「組み合せ最適化問題」を高速に解くことができるので、とても役に立つと考えられ、物流をはじめ交通、創薬、金融など、さまざまな分野で注目されています

※1  金属焼きなまし処理(アニーリング)から。金属を加熱後に徐々に冷却し、内部の応力が解消し、再結晶化され安定状態を得る「熱揺らぎ」を利用したプロセスの考え方が、量子力学でみられる「量子揺らぎ」と呼ばれる状態を時間的に制御して徐々に揺らぎを弱め、エネルギーレベルの高いところから低い(最適な)所を探索するプロセスと似た考え方で模倣できることから、量子アニーリングという言葉が使われる。

 

そして現在、アニーリング式の量子コンピュータ(以下、量子アニーリングコンピュータ)の商用利用や、量子アニーリングコンピュータの計算アルゴリズム(やり方)を疑似的に古典コンピュータで実現するシミュレーテッド量子アニーリング(SQA:Simulated Quantum Annealing)方式のコンピュータ(以下、SQAマシン)の実用化が見えてきています。

SQAマシンのプロトタイプ(中央)
小型で5-25万疑似量子ビット以上を実現

当社には、このSQAマシンを使った 無人搬送車制御システムAOS(AGV※2 Operating System:AGV 制御システム)の開発を行う部門があります。担当するスマートビジネスソリューション事業本部 ロボティクス事業統轄部の栗本、グェンに、SQAマシン開発についての話を聞きました。

※2 倉庫や工場で荷物や部品などを運ぶ無人搬送車(AGV: Automatic Guided Vehicle、搬送ロボットともいう)。

シミュレーテッド量子アニーリング(SQA)マシン開発を担当する
栗本、グェン(右)

なぜSQAマシンを開発しているのでしょうか?

(栗本)世界中でのEC(E-Commerce:イーコマース)市場の急激な高まりを受け、物流業界では宅配個数が増大し、それに伴う倉庫の大規模化や人手不足解消のための自動化が重要となってきています。このため、近年、倉庫などで使われるAGVの制御数大規模化へのニーズが非常に大きくなってきているのです

倉庫内で多数同時に動作しているAGV(イメージ)

当社が販売している500台規模のAGVの現場最適化ソリューションで、現状のニーズには応えられていますが、これを超えるときが間もなくやってくると考えています。

当社のSQAマシンが目指しているところ(イメージ)

この解決に有望な量子アニーリングコンピュータの開発は進んでいるのですが、商用利用できる最先端の量子アニーリングコンピュータの量子ビット※3数は約5,000であり、これは100台規模のAGVの経路計算までしか対応できません。1,000台規模以上の多台数AGVの経路計算を最適化問題として解くには量子ビット数が数万以上は必要とされています。

※3 ビットとは0と1で数字を表す2進法(バイナリー)の基本単位(1桁)のこと。例えば2桁(00や11)は2ビット、3桁(000や101)は3ビットと言います。量子ビットは量子コンピュータでの数字を表す基本単位。

当社は、この1,000台規模以上のニーズに応えるAGV 制御システム実現のため、組合せ最適化問題の高速計算が可能なSQAマシンの開発に取り組んでいます。

1,000台規模の計算を行う(疑似ではない)量子アニーリングコンピュータは数十億円規模の導入コストが見込まれるのですが、物流分野ではそこまでの投資は難しく、SQAマシンが現実的と考えています。

量子コンピュータとは?

(グェン)SQAマシンは、量子アニーリングコンピュータの計算アルゴリズムを疑似的に古典コンピュータに実装して動作するものなので、まず量子コンピュータや量子アニーリングコンピュータについて簡単にご説明します。

量子コンピュータは、原子や電子といった微小な世界で見られる、量子力学特有の物理状態を用いて高速計算を実現するコンピュータで、重ね合わせ状態や量子もつれ状態を利用します。

具体的には、計算に量子ビットという特殊なビットを使います。古典コンピュータはビットが0か1かの状態を使うのに対して、量子ビットは0と1の状態以外に0と1が同時に存在する重ね合わせ状態を作り出し、それを使って多くの状態を表現します。この性質を活かすことで、複数の計算を同時に処理することができるのが、量子コンピュータの最大の特長です。

量子アニーリングコンピュータとは?

(グェン)量子アニーリングコンピュータは量子力学の原理を応用して最適化問題を解決するための特化型コンピュータです。具体的には問題をエネルギーの状態としてモデル化し、最低エネルギーの状態を検索します。このときに、古典的なアプローチでは越えられないエネルギー障壁を量子ビットがトンネル効果によって越えることができ、より良い解に到達する可能性があります※4

ただし、量子アニーリングコンピュータでの計算を行うためには、量子計算するために各種問題をモデル化し、それに合わせた量子アルゴリズムを開発実装する必要があります。

※4 参考文献:制限付きボルツマンマシンに対する経路積分モンテカルロ法の実験的評価

AGV経路計算のモデル化と量子アルゴリズムの開発実装について教えてください。

(グェン)多台数AGVの経路計算はモデル化して、組合せ最適化問題に落とし込むことができ、量子アニーリングによる計算手法を適用することができます。

当社のAGV制御システム(AOS)においては、AGVの経路計算手法として広く知られているダイクストラ法を用いて最短経路計算を行っています。これはカーナビでよく使われる、経路に重みを付けて最短経路を計算する手法です。

現状、複数台AGVの経路計算の場合は下図(a)に示すようにAGV#1の経路計算→AGV#2の経路経路計算というように順番にAOSで経路計算を行い各AGVへ走行指示を出しています。このやり方では各AGVの経路計算ごとに走行指示を行っており、例えば1,000台あると1,000番目が終わらないと次に移れません。

そこで、AGV経路計算を個々のAGV経路の組み合わせを求める問題、つまり、組合せ最適化問題に落とし込むため、イジングモデル※5に置き換え目的関数設定を行います。

※5  統計力学で磁気システムの相転移を理解するために使用される数学モデルで、結晶を構成する原子のスピンの向きを計算する簡易的なモデルであり、組合せ最適化問題のモデル化にも当てはめ利用される。

その計算を量子アニーリング手法により解を求めることによって、上図(b)のように同時にAGVの経路計算(適切な経路の組み合わせ計算)を行い、高速化と全体最適化を図ります。

これは並列計算によるイメージであり、全体の経路計算の候補を同時に考慮して、その中から適切な「経路組合せ」を導くというやり方です。

ここで、問題があります。理論的には量子アニーリングによる高速化が可能であると考えられていますが、2025年現在、計算を実現するためのハードウェアの開発が追い付いていないのです。

背景のところでも取り上げましたが、現状の量子アニーリングコンピュータの量子ビット数は約5,000で、1,000~2,000台のAGVの経路計算を最適化問題として解くには量子ビット数が数十万~100万量子ビットは必要と見込まれるため、少なすぎて適用できません。

その問題をSQAマシンは解決できるのですか?

(グェン)はい。当社は、現状では大規模な経路計算ができない量子アニーリングコンピュータの最適解探求方法である「量子アニーリング」を古典コンピュータ上で疑似的に再現した量子アルゴリズムを実装して計算を行うSQAマシンを開発しています。

このSQAマシンならば、その計算速度は「汎用の古典コンピュータ」に対して数千倍であり、絶対的な計算速度は量子アニーリングコンピュータには及ばないものの、現時点での量子アニーリングコンピュータの量子ビット数を超える疑似量子ビットを再現できるため、現時点での量子コンピュータが対応できないような大きな規模の問題にも対応が期待できます。

この開発は、日本で有数の量子コンピュータの開発拠点である東北大学との共同開発※6により進めているものです。

※6 ニュースリリースをご参照ください。

具体的には古典コンピュータ上で、量子ビットならではの性質を活かしたアルゴリズムを再現するための量子アルゴリズム開発(最適化問題のモデル化も含む)と量子アルゴリズムによる計算を実行できるSQAマシンの実現を目指しています。

1000台のAGV制御シミュレーション

開発しているSQAマシンは並列で計算を高速に行うことができる電子回路(FPGA回路※7)を利用し、量子アルゴリズムを実装した特殊な回路設計とすることで、古典コンピュータ上で量子アニーリングを疑似的に動作させることが可能です。

※7 Field-Programmable Gate Arrayの略。ユーザー独自の回路構成に書き換え可能な演算デバイス(集積回路)。

今後の展望をお聞かせください。

(栗本)当社が取り組んでいるSQA技術は、現在の物流倉庫でのAGVの経路計算に留まらず、さらに広い範囲での活用が可能です

例えば、物流倉庫においては、保管する商品の配置や、入出庫の順番も全体の効率に大きく影響します。特に、数十万、数百万種以上の商品を扱うような巨大倉庫においては、組み合わせ最適化検討も非常に重要になってきますが、古典コンピュータによる計算では追いつきません。

今後、ますます複雑化するさまざまな社会問題に対して、紹介したSQA技術の有効性が発揮されることになると思います。ぜひご期待ください。

―― ありがとうございました。

将来、量子コンピュータが完成すると、計算スピードが劇的に速くなるということはニュースで聞いて知っていたような気になっていましたが、取材をするまでは、現状については全くわかっていませんでした。

今回の取材では、物流倉庫のAGVの最適化制御におけるSQAマシンは、もうすぐ実現できそうなところまで来ていることが分かりました。

また、世の中の色々な分野で、組み合わせの最適化問題は存在しており、利用範囲が大変多いことも理解できました。これらの技術が早く実用化されることを心より願っています。(広報C)

製品情報
自動搬送装置(AGV)

ニュースリリース
量子アニーリングを応用した自動搬送ロボットの多台数同時制御エンジンの開発に成功

量子アニーリング技術を応用した自動搬送ロボットの多台数同時制御に関する研究を東北大学と共同で開始

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