【シャープ横断♪バトンリレー】第25走者◆鳥の目、虫の目、魚の目。CAD事業の栄枯盛衰

CAD時代の懐かしい方からチャットが入り何事かと思うたら(笑)。畑中さんからバトンを受けました。SMJ-BS システムSOL営業推進部 商品担当の郡山聡です。畑中さんとは自社製2次元CAD『WorkTOP-2D』で大変お世話になりました。社内でも使用されていたので懐かしく思われる方々もおられるかもしれません。それでは私のシャープにおける経験の一部をお話ししたいと思います。

1985年4月、西田辺の本社で入社式がありました。1週間の研修後、天理のLSI工場で研修コースとなりましたが、夜間大学に通うため八尾の家電事業部の研修コースに異動となり、八尾で約4ヶ月を過ごしました。1985年7月、シャープ精機・第三機器部に配属となりました。当時自社の製造ラインだけでなく、鈴鹿にある自動車メーカーのエンジンヘッドを組み立てる設備や、ドイツにあるフイルムメーカーのカメラフィルムを生産する設備など幅広くFA(自動化)ラインを受注生産している部門で、電気系の技術者として業務していました。当時の出張はFAラインを設置し、その後試験運転で稼働出来るよう調整を行い、さらに実際に稼働に入り細かい不具合や要望まで対応するため、大掛かりな設備の場合は半年や1年など長期に及びました。工場から出荷された設備で生産されたものを街中で見かけると、感慨深い思いをしたものです。

休日の息抜きツーリング

そこに自社で研究開発している機械系のCAD/CAM/CAEシステムを外販する新たな部門が発足するとの事で、SEとして異動しました。それまで設計というと製図板を使っていた私は、画面上で2次元の設計図面が作成され、それを基に3次元で立体化されたものを見るのは初めてで、それどころか更に工作機械を動かすデータが作られ、実際に金属を切削し、製品サンプルや金型(プラスチック製品の基となるもの)が作られるのは画期的でした。そこに興味が爆発し、その知識を得よう、身に着けようと夢中になり夜遅くまでシステムと向き合っていたことを覚えています。当時のシステム『SEJOUR(セジュール)』はDEC社のVAXという32bitのミニコンピュータ(OS:VMS)で稼働し、1システム数千万円と、とても高額な商品でした。ちょうど世の中の商品がデザイン性を重視し始め大量生産の為には金型への反映が必要な状況で、各企業高価ながらも採用を始めた時期でもありました。車のデザインも角張ったものから流線形に移り変わった時期です。様々な展示会に参加し、販売店様のブースでは多くのお客様に説明を行い、反響が大きかったのを覚えています。

説明会対応中
説明会対応中
展示会出展

特に記憶に残っているのは八尾にある当時のシャープ精機で、受付からのCADについての問い合わせの電話に出ると、韓国の企業から是非デモを見学したいとの要望が!市ヶ谷の事務所でカタコトの英語で説明を行いました。その後、該社希望の仕様をベースに、経験のない数字(9桁!)の見積もりを提出。まわりからは『きっと冷やかしだよ(笑)』などと言われながらも待つこと数か月、採用の連絡があり大騒ぎとなりました(笑)その会社とは、その後継続的なお付き合いとなりました。私の立場もSEから営業へと変わり、新規開拓からデモ実施、見積提出から納品設置、導入教育、アフターフォローと一人で全てを行うようになり、担当地区も大阪に在住しながら東日本担当と、協業先も増え地方販売店だけでなく、東京田町駅前にある企業内に机を置かせていただき、該社EWS(エンジニアリングワークステーション・OS:UNIX)のアプリケーションソフトとして一緒に仕事をしていました。この頃にはシステム普及に伴い、価格も1千万円程度となり、競合も増え激戦の時代となりました。

1992年からは所属も当時のSSPとなり東京へ転勤となったわけですが、その3年後業界に大きな影響を及ぼす黒船がやってきます。その黒船の名は『Windows95』です。この登場によりPCの普及が大幅に、いや爆発的に伸びていきます。今まで一部の事務業務や研究等に使われてきた程度だったものが、その垣根を次々と越えてきたのです。一時代を築いたワープロも飲み込まれてしまいました。当然CAD業界も瞬く間に影響を受け、稼働ハードもEWSからPCへと変わり価格も瞬く間に低価格になりました。

ついに2次元CADに至ってはフリーソフトまで普及する時代となりました。当時全てを自社開発していましたが、PC版への移行が必要となり、大手CADソフトのアドオンソフトとしてリメイクするも2007年に撤退となりました。CAD担当期間後半はシステムトラブル対応のためユーザーを回り、電車の窓から見える景色に季節を感じず、頭の中にはお詫びの言葉が溢れていました。まさに栄枯盛衰を経験したわけですが、そのプロセスは非常に充実しており、得るものは大きかったと、貴重な経験であったと今も思っています。

CAD事業撤退と同じ時期に体を壊し休職した私は、復職後、管理系の業務に従事する事となりました。その際にお世話になった方が朝礼で『鳥の目(高いところから全体を広く観る)、虫の目(繊細に物事を観る)、魚の目(社会情勢を鑑みて観る)と3つの目で物事を観て判断する』事の重要性、必要性のお話をされました。その言葉が、営業に従事していた時と重なり、成功ばかりでは、この言葉の大切さは伝わらなかっただろうと思います。現在はその言葉を胸にしたため、経験と重ねて、若い世代に伝えるべく業務に取り組んでいる次第です。また社会貢献として、学生時代に嗜んでいた剣道を再開し、地域の子供たちや大人への指導に取り組んでいます。地元ではちょっとした有名人となりました(笑)。これからも微力ながら会社や地域社会に貢献したいと思っている次第です。

仕事私事に充実

次のバトンは、営業の業務支援を行っていた際、流通系POSシステムの窓口として経験の浅い私に、大変丁寧にシステムの説明をしてくださり助けてくださいました

シャープ労働組合 専従 東日本
真鍋宗行さん

にお渡しいたします。よろしくお願いいたします。

(郡山聡/SMJ-BS システムSOL営業推進部)

≪シャープ横断♪バトンリレー≫とは…?
みなさんの人脈を駆使しバトンのようにコラムを繋いでいくという、太古の昔からある数珠つなぎ企画!第25走者はSMJ-BS システムSOL営業推進部の郡山さんでした。第26走者は、郡山さんからバトンを託された真鍋さんです。お楽しみに♪

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