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【ザウルス誕生30年記念】企画担当者同窓会!<後編>

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わっしょい!
ザウルス誕生30年記念!企画者同窓会を開催、前編では自己紹介とお気に入りの一品を紹介しました!ここからどんどんエモくなっていきますよ!
伝説の商品ザウルス について深堀していきます!

伝説の商品!歴代のザウルスさんたち

メンバー

 当時:商品企画を担当 

シャープOB 
鈴木 隆さん
 
 
 

株式会社AIoTクラウド
経営管理部 部長補佐
福永健一

株式会社AIoTクラウド
社長 松本融
 
 
 

新規事業開発統轄部
第一開発部 課長
西本望

Smart Appliances & Solutions
事業本部
SmartLife事業統轄部
Platform事業推進部
部長 中田尋経

Smart Appliances & Solutions
事業本部
プラズマクラスター・
ヘルスケア事業部
参事 澤井和美

 当時:デザインを担当 

総合デザインセンター
課長 大木邦裕

 


■過去からの系譜を受け継ぐことが命題だった

――ザウルスはどうやって生まれたのでしょうか?

1964年に世界初のオールトランジスタ式電卓を生み出し、その後情報系の流れとしてポケットコンピュータ、電子手帳と時代のニーズを先取りした商品が誕生しました。1990年代初期は、ちょうどその時代に必要とされる、新たな商品を生み出す必要があるタイミングでした。当時、ホワイトカラーの生産性向上が時代の課題のひとつであり、そこから次の商品像を検討し、企画書を幾度となく作りなおしました。

――まさに時代の流れを読んで作られた商品だったんですね。
  続いて、今だから言えるマル秘エピソードを教えてください。

ザウルスが発売される前、ザウルスの原型となった、ハイパー電子マネージメント手帳<PV-F1>という電子手帳の進化版みたいな商品がありました。手書き認識もついていてスケジュール管理もできる良い商品だったのですが、約12万円でした。この商品がザウルス初号機<P1-3000>につながっているわけなのですが、その初号機が翌年発売されてびっくり!なんとほぼ半額の6万5千円!鈴木さん何をやったんですか?笑

ザウルスを作るときの開発目標が「“3つの2倍”、“3つの2分の1”」だったんです。”3つの2分の1“のひとつである価格は、前の機種より半額を目標に設定しました。
一言で言えば「ダウンサイジング」です。小型化する為に、液晶のパネルサイズ、ドット数を下げ、低消費電力化を図り電池を小さくしたり、樹脂材料を軽量化したり、ハード処理をソフトで対応する、など一つずつ地道にコストの削減を行っていきました。コスト削減だけでなく、処理速度、機能性能は向上させることも並行して行いました。

何か絶対やばいことやってるんじゃ?!と当時は思っていましたが、違いましたね(笑)
あと、私がシャープに入社する決め手となったのは「ある感動」でした。大木さんが前編で紹介した、IC電子手帳<PA-8500>という商品は、別売りのICカードを透明なガラス窓に差し、そのガラス窓の上からICカードのボタンを押して操作する、という形でした。一方あとから発売されたザウルスはガラス窓がなかったのですが、電子手帳のICカードを差すとカード表面のボタンと同じ内容をモニターに映す仕様になっていて、電子手帳のICカードがザウルスでもちゃんと使える!ということに感動しました。

カードを差すとガラス窓で透けてボタンが押せるIC電子手帳<PA-8500>

昔はインターネットでアプリをダウンロードしてくるという文化がなかったので、それぞれの機能を持ったカードを入れ替えて使っていました。紙の手帳では中身のリフィルを入れ替えて自分好みの手帳をつくれるように、電子手帳では、ICカードがリフィルというイメージですね。

――鈴木さん、「電子手帳のICカードがザウルスでも使えた」ことについては、やはり狙いがあったのでしょうか?

ザウルスを企画したとき、全くのゼロスタートではダメだと考えました。電子手帳をお使いいただいていたお客様の資産であるICカードを使い続けられるようにするべきだという総意がありました。技術と企画みんなで、相当がんばって実現したことを覚えています。

――そこはやっぱりカスタマーファーストなんですね。

ザウルスっていう当時の新しいカテゴリーの商品においても、電子手帳のファンも大事にしていこうっていう考え方にめちゃくちゃ感動しました。携わるようになってからもその気持ちでずっとやっていましたね。

■カンカンガクガクの毎日でした(笑)

オンラインパッチという、プログラムの一部を後から書き換えられる構造をザウルスで先行して取り入れました。今のスマホはバージョンアップできるのが当たり前ですが、当時のプログラムはROMという書き換えられないメモリに格納されていて、バグがあったら大変なことになります。プログラム容量が大きくなるほどリスクが大きくなるため、ザウルスの技術チームが、あとから一部のプログラムだけを書き換えられる構造をつくったのは感心しました。ザウルスの技術チームは本当に素晴らしくって、彼らに対する信頼はものすごく持っていました。彼らのおかげで、私たち商品企画は好きなようにできたと思っています。

※一旦完成して配布したプログラムの一部のみを修正すること

一方で、お互いこだわりが強すぎて、技術と企画は毎日ケンカしてましたね。

良い商品を作ろうと、みんな一生懸命でこだわり過ぎでしたかね(笑)
ザウルスチームはいい意味でフラットで。上司にも若手がどんどん意見できる環境でした。上の人もその人の意見やアイデアを尊重してくれる。「忖度する」ことはなかったですね(笑)

でもあのチーム感っていうのは、本当にすごかったと思います。例えばAIoT※で冷蔵庫と洗濯機の終了お知らせなどの連携が出来るのですが、違う部門同士の横の連携が必要なとき、シャープでは、部門をまたいですぐ相談に行って「やってみようか」となったり、部長や課長に若手スタッフがパッと話をしに行ける環境であることに、取引先の方とお話をしているとよく驚かれます。ザウルスでのフラットなチーム感のDNAが今日まで受け継がれているんじゃないかなと思いますね。

※「AIoT」は、AI(人工知能)とIoT(モノのインターネット)を組み合わせ、あらゆるものをクラウドの人工知能とつなぎ、人に寄り添う存在に変えていくビジョンです。「AIoT」はシャープ株式会社の登録商標です。

あと、初号機<PI-3000>のフタが360°まわる、取り外しの出来る構造はこだわりました。ザウルスの布石となった、ハイパー電子マネージメント手帳<PV-F1>は180°しかフタが開かない構造だったので、それが使いにくいというお客様のご意見をいただきました。オプションの皮ケースをマジックテープで留めることや、ベルトで固定するのはとても恰好悪いと思っていたので、フタを一旦外して皮ケースに収納することで、皮ケースをスマートに装着できるようにしました。

ハイパー電子マネージメント手帳<PV-F1>
フタが360°クルッと回る例。パワーザウルス<MI-506>

そうだったんですね、聞けて嬉しいです(笑)

私は、ザウルスチームに合流してから毎日が楽しくてしようがなかったです。議題にないものでも、自主的にどんどんプログラムを組んで持ち寄って。どんどん発展していくんですよね。

■今では考えられない時間制の「電話線」通信!?

ザウルスはOSを含めて全部自分たちで設計して作っていました。ソフトとハードという概念よりも「世の中のニーズに合わせてどういうものを作るか」というテーマありきでした。ビジネスパーソンが紙のシステム手帳を使っていた時代、手帳の中身をリフィルで追加していく仕組みから着想を得て、電子システム手帳の中身をICカードで差し替えていくっていう発想につながったり。パソコンが普及する前、誰もがキーボードを打てるわけではなかった時代、ザウルスでは、ペンで文字を書くとテキストとして認識する「手書き文字認識」を採用したり。95年にビジネスパーソンがパソコンを使うようになると、手書きだけのコミュニケーションではなく、キーボードで高速に文字を打って、大量の文字でコミュニケーションをしていくという流れになり、ザウルスにもモデムが内蔵され、オプションキーボードを別売するようになりました。カスタマイズできる周辺機器もたくさん作りましたね。ビデオを再生できるエンターテインメント系のものや、パソコン仕事をモバイルでできるような周辺機器もつくりました。音楽を再生できる周辺機器もありました。それも自分で録音できる、アナログの音声を入力して、MP3に変換するというチップが内蔵されたものです。

動画・音楽再生機能内蔵の<MI-E1>とその周辺機器
MPEG-4 ビデオレコーダー<CE-VR1>(左)
リモコン付ステレオヘッドホン<CE-RH1>(右)

――電話やメール、インターネット、カメラ、音楽、動画など、スマホでできることが、スマホが無い時代にほぼできたんですね。

まさにそうなんです!
さらに、ザウルスは赤外線の近距離通信ができました。ザウルスユーザーがザウルス同士を近づけて赤外線通信をすることで、アドレスやスケジュールなどのデータ交換ができました。

名刺交換しましょうよって、ビジネスパーソンに赤外線通信を楽しんでもらってたよね。機種を買い替えたときも、中身のデータ移行が赤外線通信でできました。

――赤外線通信って携帯電話が最初かと思っていました!

ザウルスの方が早かったですね。赤外線はシャープが先行して取り入れていました。
赤外線と並行して作ったのが、電話線と繋げてデータ送信ができるようにする外付けのモデム。ビジネスパーソンが出先からもFAXで報告したいという背景があって取り入れたんですよね。

電話につながっている電話線をザウルスの外付けモデムに差し込むことで、データ通信ができるようにしました。

――インターネットの有線LANケーブルを差す、みたいなイメージですか?

そうです。今のスマホの料金プランの様に、通信した容量で金額が変わるインターネット回線とは違い、繋いでいる時間でお金がかかってしまう。さらに今の1000分の1くらいのスピードで。送りたい報告書やメールを作ってから電話線を差し込んで、送ってからまた電話線を抜く、といった使い方をみなさんしていました。

今では考えられない使い方ですが、当時はモバイル端末でデータを送れることが画期的だったんです。

■反射型液晶やフロントライトを先行して採用

――他にも先行して取り入れていた機能を教えてください。

反射型液晶やフロントライトなども他社より先行して使ったよね。

業界初のスーパーモバイル液晶(反射型TFT)搭載
カラーで、薄さ18mm&長時間使用(30時間)を実現
Zaurusカラーポケット<MI-310>

外光を反射させて表示させられる反射型液晶だから省エネ省電力にできる。だから、カラー液晶なのに専用の充電池ではなく乾電池で動く。それがものすごくメリットだったんです。

最初のカラーザウルスの充電池が、ビデオカメラに搭載していたものくらいの大きさだったんです。電池持ちっていうのはずっと課題で、「いつでも使える」ようにしないといけない。反射型液晶にすることで、乾電池使用になりました。乾電池は充電池と違い、欲しい時にどこでも買うことができますよね。それにより「いつでも使える」が実現し、小型化もできました。ちなみに、ビデオカメラ用の充電池をそのまま使用した機種もありました。

ポータブルMDプレーヤーの充電池を使っていた機種もありましたね。

――ええ?!それは公式でOKだったということですか?

もちろん!型番も同じです。だからシャープのMDプレーヤーを持っていたら、ザウルスに充電池を入れ替えて使うことができました!

<SL-C700>では、スイーベル方式を採用しました。縦の手帳型を考えているときに、縦でも横でも使えるようになれば面白いよねと、ディスプレイ部が回転する新しい機構を技術が持ってきてくれました。

超高精細VGAシステム液晶&キーボード搭載 Linuxザウルス<SL-C700>
ディスプレイ部回転機構によるビュー&インプットの2Wayスタイル
スイーベル方式イメージ。
写真・音声・動画付のマルチメディア辞典搭載の<SL-C3000>

あとは、スライドキーボード。スライドしたときもキーボードを閉じたときもスライド部の操作ボタンが使える仕様は、ほぼ世界初だったんじゃないかな。
レールのところに金属端子がついていて、キーボードを閉じた状態でもボタン押下を感知できるっていうね。

――キーボードの設計はどういうところが大変なのでしょうか。

両手の親指で押すことを想定したキーボードは、隣のキーへの誤タッチがないこと。あと、キータッチの硬さです。キーボードを押す際に柔らかすぎても硬すぎてもダメ。私たちは通称「プチプチキーボード」と呼んでいたのですが、硬さ違いの試作品をたくさん作って並べて。朝から晩まで押しごこちを試していました。あと、延々とスライドし続けて耐久性を試したりね。

プチプチキーボード<MI-E1>
2000年に初めてキーボードを採用

私もそれなりにハードに使ったんですが壊れたことはなかったですね。

女性ファッション誌付録の表紙にザウルスが!

90年代のザウルスはビジネスパーソン向けで、圧倒的に男性ユーザーが多かったのですが、1999年になるとメールの普及とともに、若い男性や女性ユーザーもザウルスを使うようになりました。

――そんな時期に雑誌FRaUの付録まるまる一冊でザウルスが特集されたことがあったようですね。大木さんのコレクションで実物が残っておりました。

20年ほど前の、雑誌FRaU別冊付録表紙

へー!知らなかった。

私も知らなかったです。
若い女性にも使っていただきたいという狙いがちょうどあった時期ですね。

当時、本屋さんでたまたま見つけました。ウィークリーの日常ファッションを見せる中で、何気なく生活に溶け込んでいるザウルスが表現されています。ザウルスのユーザーの声や別売りの周辺機器の特集も載っていて充実の一冊でした。

カッコいい!おしゃれ!表紙に載っているのは、スリムで大容量メモリの<MI-E21>ですね。

■仕事にザウルス、あとはいらん?

――当時のカタログは恐竜を背負っているビジュアルで。インパクト大でたまげました(笑)

初号機<PI-3000>のキャッチコピーは「仕事にザウルス、あとはいらん」「忙しいのは誰のせいだ、僕のせいだ」とハッキリと言い切っていました(笑) 7年後に発売した<MI-E1>では、恐竜をタレントさんに背負ってもらうテレビコマーシャルをするなど、話題になりました。

シャープ社員じゃなくても、より多くのプログラマーの方達にザウルスのソフトを開発していただけるよう、シャープがつくったSZABという開発環境や、 CodeWarrior for Zaurus という、サードパーティが作ったザウルスの開発環境も提供していました。これも当時は新しい取り組みでした。アプリのコンテストをカナダ大使館で行ったこともありました。

――開発コードが犬の名前だと伺ったのですが。なぜ犬だったのでしょう。

<MI-P10>がプードルだったのは覚えているな。

よく覚えてますね!他の事業部がネコを開発コードにしていたので、かぶらないように犬になりましたね。

他にも、「Spitz」「Terrier」「Beagle」「Corgi」などがあったと思いますが、遠い昔の話で記憶が曖昧ですね。

素うどん戦略って!?

――アイゲッティまでは本体にコンテンツを持たせていましたが、アイゲッティ以降、本体は最小限にして、自分が欲しい機能は、別売りのカードを購入して自分好みにカスタマイズしていく、という方向に戦略が変わりました。その時に「素うどん戦略!」がバーンと新聞の見出しになってしまい、広報が企画部長に怒られたことがあるという噂を聞きました(笑)

※素うどんに好みの具をのせてカスタマイズするように、ザウルスに好みのコンテンツをダウンロードしてカスタマイズできる、という意

あったねそんなこと(爆笑)

―― 一同爆笑

Sharp Space Townという、アプリをダウンロードできるサービスが、1999年、アイゲッティのタイミングでスタートしました。別売カードのようなハードを買わなくても、いまのスマホと同じように、欲しいアプリやコンテンツをダウンロードして使えるようになったんです。

――表現方法はおいといて、この戦略は当時からしたらとても進んでいたのではと思います。それが今のシャープにつながっているのではと思います。

シャープの風土がその考え方を作り出したのだと思います。卓上電卓も元々とても大きく重いものでしたが、後にはカードサイズまで小型化されています。将来、「頭の中にコンピューターが埋め込まれる」というイメージのもとで、小型軽量化・低消費電力化がどんどん進められていったようです。

電子メモから電子システム手帳への転換点では、『一台で自分に合った多機能を持たせられる』ようにしよう。次のザウルスでは、一台に持たせられる機能だけでは足りないから、『好きなコンテンツを入れ替えられる』ようにしよう。さらに今後の時代を切り開くのにネットワークでのコミュニケーションが必要だから、『コンテンツをネットワークでダウンロードできる』ようにしようと。当時、シャープの技術は赤外線通信がベースにあったので、「離れたところでもデータがやりとりできる」という考え方がもともとありました。世の中の流れがどうなるかを先読みしてきた会社です。時代を先取りしてきました。

――当時革新的だった、コンテンツやアプリを追加できることや、プラットフォームなど、今のスマホで当たりまえにやっていることを、シャープが90年代からザウルスで形にしてサービスにしていた、すごいですね(笑)

ザウルスは液晶を基本に「コンピューティングとコミュニケーション」を拡充するコンセプトで進めていました。ハード・ソフト・コンテンツ全てを本体に内蔵すると怪物になってしまう、必然的に拡張できる仕組みを構築していく動きになりました。それらを支えている、ソフト開発陣営には大変苦労をかけたことと思います。

――2000年代後半には急激にスマホ市場が拡大しましたね。

携帯電話が普及し、モバイル通信インフラがどんどん高速化、充実することで、音声や写真はもとより、映像が送れる通信環境が整っていきます。その過程で、モバイル通信をベースとしたスマートフォンが世の中で普及しました。「モバイル情報ツール」から「モバイル情報通信ツール」へと進化したと言うことですね。これらのモバイル分野では、スマートフォン、タブレット端末、スマートウォッチ、モバイルPCなどが現在では普及しています。

時代と共に、ニーズと共に技術・インフラも進化し、市場は移行していくのは当然の流れです。
「いかにこれらの変化を早く掴んで商品化、事業化していくか」、これこそがシャープのDNAであり、ザウルスなど先人の商品化の経験が、今のシャープのスマートフォンの事業やAIoT事業などへと脈々と繋がっていることと思います。

~繋いでいくDNA~

――かつて、一緒にザウルスという商品で切磋琢磨していたみなさんですが、今はどのようなお仕事をされているんでしょうか。

私はAIoTの機能やサービスを、さまざまな家電に搭載したり、家庭内の他の機器やクラウドのサービスとつなぎ、買った後も成長するプラットフォームに広げていく業務を進めています。シャープの家電はネットワークにつなぐことで、スーパーのお得情報をしゃべってくれたり、天気予報を教えてくれたりします。しゃべる家電を積極的にやっているのは世界でもシャープだけじゃないかな。他にも住宅設備や家庭内の機器同士をつないで新たなことができるような開発も推進しています。そもそもシャープが家電をネットワークにつないで、今あれこれできているのは、1990年代という早い時期からザウルスでインターネットにつなげられるようにしていたからこそ、早い段階から家電をネットワークに、かつオープンにつなぐという発想がでて、実装できているのだと思っています。ですので、AIoT家電の根底にザウルスがある、といっても過言ではないかも!?言い過ぎかな?笑
昔を超える新しい文化を創り出していきたいです。

参考リリース:新スマートホームサービス「COCORO HOME」を開始

AIoT クラウドという会社で、AI×IoT×クラウド分野の ソフトウェア統合開発力を活かし、クラウドサービスの開発・運用による各種B2B向けソリューションを提案しています。
創業者の「人にマネされる商品をつくれ」という魂をシャープグループの人はみんな持っていると思います。未来を見据えて、未来を自分たちで創っていく提案をし続けることが大事だと思います。私もAIoT クラウドの社長として方向性を指し示すことを心掛けています。

参考リリース:業界初固定カメラ・スマホカメラをハイブリッドで利用できるメーターのAI読取 遠隔監視サービス(SaaS型)『WIZIoT(ウィジオ)』を提供開始

「モノのもつリアリティで人々の生活を幸せにしたい」という想いで働いてきました。今はAIoTクラウドで、ザウルス時代同様、松本さんの下でご指導いただいています。ザウルスでは、ソフトとハードウェアとクラウドサービスでお客様に新しい生活を提案してきましたが、モノとソフトとクラウドをひとまとめで考えるということは、ザウルス時代の考え方とあまり変わらないです。AIoTクラウドのソリューションで人々の生活を豊かにしていきたいです。

ザウルスを担当していた時、本当に毎日が楽しくて楽しくてしようがなかったです。ザウルスのことをずっと考えて、ザウルスが大好きで、疲れを感じない。その疲れが後年にくるわけですが笑。楽しくて仕方がない仕事に出会えたっていうのは、本当に幸せなことだと思いますね。ザウルスの後は、携帯電話のUXを担当した後にAndroid立ち上げのプロジェクトに呼ばれ、基本的なUI、UXのほとんどを策定しました。今は省電力の取り組みや、低軌道衛星向けの衛星アンテナを開発しており、シャープが日本最初の低軌道衛星打ち上げ部隊になる!ことを目標に取り組んでいます。目指せ日本一!

参考リリース:LEO(低軌道)/MEO(中軌道)衛星通信アンテナの開発を開始

ザウルスのデザインをした後は携帯電話のデザインを担当しました。携帯電話も指先で使うものなので、ボタンデザインなどはザウルス時代に培った経験が役に立ちました。ボタンの大きさ、高さ、キーのストローク量、段差、スキマ、文字の大きさなど小さいものを手のひらで使う商品のデザインスキルはその後にずっと活きています。現在は総合デザインセンターで組織運営、方針・戦略策定、デザイナーの人事・採用・育成、デザイン部門の開発環境構築といった総合的な業務をしております。

空気清浄機やプラズマクラスターイオン発生機を担当後、現在は非接触ヘルスケアセンシングという、顔認証と同時に、血管情報・心拍情報・温度を一括測定し、クラウド上へ自動記録、普段との違いをお知らせするという、法人向けの見守り・運動管理ソリューションを担当しています。今までにないものを作り出すというザウルス時代に培ったノウハウを今の業務に活かしています。

参考リリース:法人向け見守り/運動管理ソリューション「i-wellebe(アイウェルビー)」の提供を開始

――ありがとうございました!ザウルスで培ったDNAは今もシャープグループで息づいていて、シャープの最先端を推し進めているのですね。エモいです・・・。

ありがとうございました!では、我々は次の裏会議へ・・・!笑

――そして盛り上がりすぎたメンバーは、第2会場(居酒屋)へと向かいましたとさ!(笑)



いかがだったでしょうか。

30年前、かつて「ザウルス」という、社内でも伝説の商品で同じ方向を向いていた仲間たちが、時を超えて再集結しました。

今、一人は低軌道衛星で日本一を目指し、一人はAIoT事業のトップとして、人を導く。そのサポートをする縁の下の力持ちや、家電連携のさらなる飛躍に向けて奔走する人もいれば、健康関連のスペシャリスト、次代の育成に従事する人も。

伝説の商品を創っていたという事実は消えない、想いも消えない、経験も消えない。

脈々と受け継がれているDNAはそこに息づいています。

かつての仲間たちは、散り散りになっても、それぞれの場所でシャープの「今」を支えます。

物語はまだまだ続くのです・・・。



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