大阪企業家ミュージアムの特別展示には、当社の創業者 早川徳次の言葉がありました
2016年9月16日
大阪市中央区にある大阪企業家ミュージアムには、大阪を舞台に活躍された企業家たちの歴史やゆかりの品などが展示されています。現在開催中の特別展示「企業家たちの珠玉の名言」では、当社の創業者 早川徳次の展示もあるとお聞きしましたので、さっそくおじゃましました。
大阪企業家ミュージアム
http://www.kigyoka.jp/
特別展示「企業家たちの珠玉の名言」
http://www.osaka.cci.or.jp/event/seminar/201606/D25160607012.html
開催期間:2016年6月7日(火)~9月30日(金)
大阪企業家ミュージアムでは、「企業家たちのチャレンジとイノベーション」をテーマにした展示を通して企業家精神を伝承するほか、人材育成セミナーや講演会、「企業家研究フォーラム」の運営支援などを行っています。このような多くの企業家たちに関する展示を行うミュージアムは他にないそうです。
特別展示「企業家たちの珠玉の名言」のひとつに、早川の言葉を見つけました。
「他社にまねされるような商品をつくれ」
この言葉の背景には、“まねが競争を生み、技術を底上げし、やがては社会の発展につながる”との考えがあります。社会貢献を常に考えていた早川らしい言葉だと思います。
常設展示には、企業家たちの生い立ちや起業エピソードとともに、ゆかりの品が展示されています。
中央にはなんと、当社のコンペットがありました。
コンペットは、当社が1964年に世界で初めて※1商品化した電卓です。当時の価格は、535,000円。1,300ccクラスの一般乗用車とほぼ同じ値段というとても高価なものでしたが、画期的な計算スピードと静音性から、国内外問わず高い評価をいただいたヒット商品です。
※1 オールトランジスタ式卓上計算機として、1964年発売当時。
後にシャープペンシルと呼ばれる、エバー・レディー・シャープ・ペンシルの展示もありました。社名の由来ともなったシャープペンシルは、当社にとっても、私にとっても、とても大切な存在です。当社の100年史には、当時の様子などが詳細に書かれています。読み物としても非常に面白いので、ご興味がある方はぜひご覧ください。
シャープ100年史
http://www.sharp.co.jp/corporate/info/history/h_company/
大阪企業家ミュージアム内には、社史や伝記など、約9,000冊を所蔵するライブラリーがあります。早川の書籍も3冊ありましたので、こちらも併せてご覧ください。
名言として後世に残るのは、その人の意志や信念が言葉に表われているからだと思います。ご案内いただいたミュージアムの方は、「偉大な企業家たちも、一度は失敗や挫折を経験している。そこから立ち上がり、強い意志を持ってチャレンジし続けてきたからこそ、これほどの功績を残すことができた」「見ているだけでも、とても元気が出ますよ」とおっしゃっていました。
私も取材を通して、確かに勇気を貰った気がします。
大阪企業家ミュージアムでは現在、五代友厚の命日(9月25日)にちなみ、9月の毎週土曜日は入館料が無料になるメモリアル月間を開催しています。この機会にぜひ、お立ち寄りください。
創業者ゆかりの地を巡るツアー
時を同じくして、当社の有志メンバーによる「創業者ゆかりの地を巡るツアー」が行われました。
まずは早川のお墓参りをして、次にシャープ特選工業を訪れました。
シャープ特選工業は、障がい者の社会経済活動への参加と雇用促進を目的として、1950年に設立されました。日本で最初に認定された特例子会社として、電子部品の組立、金属加工を中心に障がい者の雇用の場を作りながら、現在では最先端のデジタル機器(液晶ディスプレイ、電子デバイス)等の精密部品の生産を行っています。
「何かを施す慈善より、障がい者自身で仕事をし、自助自立できる環境をつくることが福祉につながる」という早川の信念のもと、太平洋戦争で失明された軍人のために設けられたプレス加工工場が前身となっています。
入口には、以前生産されていた当社の製品がありました。
食堂スペースには、早川が書いた「日々努力 何糞(なにくそ)」の文字があります。困難に出会ったときにこの言葉を見ると、「なにくそ!」と力が湧いてくるような気がします。社内でも有名な言葉なんですよ。
シャープ特選工業を後にし、育徳園保育所と育徳コミュニティーセンターにおじゃましました。
育徳園保育所は、1952年5月にテレビの特許契約のために渡米した際、米国の社会福祉に感銘を受けた早川が、片親だけの子や、共働きの家庭の子どもたちに遊び場、保育の場を作ってあげたいと、帰国後すぐに設立したものです。仕事で多忙な時期でも、時々訪れ、子どもたちと触れ合っていたそうです。
育徳園保育所の隣にある育徳コミュニティーセンターには、早川記念ホールや研修室があり、「いくとく教室」として文化・体育活動が開催されています。またセンター内には、早川の色紙や著書、シャープペンシル、そして胸像があります。正面に立ってじっと見つめていると、言葉はなくとも、何かメッセージをいただいたような熱い気持ちになりました。
当時の様子を知る方からお話を伺ったり、ゆかりの品を拝見したり、とても良い勉強になりました。
育徳園のパンフレットには、早川のこんな言葉が載っています。
人生の幸せは自分の力だけで克ちとれるものではない。
知らずしらずのうちにいろんな人や社会のお世話になって築かれていくものである。
これは一つの借りである。
返さなくてもすむ借りかも知れないが私は感謝して返していきたい。
(創業者 早川徳次翁 随筆集より)
生い立ちから創業、そして晩年に至るまで、早川の歴史をたどってみましたが、“社会に貢献するために、革新的なモノづくりにチャレンジし続けきた人”だったと改めて感じました。お墓のある田辺から職場は離れましたが、時々お参りに行こうと思っています。
(広報担当:M)
写真と音でつづる 創業者「早川徳次物語」
http://www.sharp.co.jp/corporate/info/history/voice/
大阪企業家ミュージアム
http://www.kigyoka.jp/
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